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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)2783号 判決 1983年9月29日

昭和五一年(ネ)第二七七四号事件控訴人、

同年(ネ)第二七八三号事件被控訴人(以下「第一審原告」という)。

松崎ふぢ子

右訴訟代理人

永瀬精一

昭和五一年(ネ)第二七七四号事件被控訴人、

同年(ネ)第二七八三号事件控訴人(以下「第一審被告」という。)

戸塚勝久

昭和五一年(ネ)第二七七四号事件被控訴人、

同年(ネ)第二七八三号事件控訴人(以下「第一審被告」という。)

村田富男

右両名訴訟代理人

江口保夫

斉藤勘造

増田次郎

主文

一  第一審原告の控訴を棄却する。

二  第一審原告の当審において拡張した請求を棄却する。

三  第一審被告らの控訴に基づき、原判決中第一審被告ら敗訴部分を取消す。

四  右取消部分に関する第一審原告の請求を棄却する。

五  訴訟費用は、第一、二審とも第一審原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  第一審原告

1  原判決中、第一審原告敗訴部分を取消す。

2  第一審被告らは、第一審原告に対し、各自金五二八万五二八九円及びこれに対する昭和四七年八月一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  (当審における請求の拡張に基づき)第一審被告らは、第一審原告に対し、各自金三九四万六六一二円及びこれに対する昭和四七年八月一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

4  第一審被告らの本件控訴を棄却する。

5  訴訟費用は、第一、二審とも第一審被告らの負担とする。

二  第一審被告ら

1  第一審原告の本件控訴を棄却する。

2  第一審原告の当審において拡張した請求を棄却する。

3  原判決中、第一審被告らの敗訴部分を取消す。

4  右取消部分に関する第一審原告の請求を棄却する。

5  訴訟費用は、第一、二審とも第一審原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  事故の発生<省略>

2  責任原因

(一) 第一審被告村田は、加害車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)第三条の規定により本件事故により第一審原告が受けた損害を賠償する責任がある。

(二) 第一審被告戸塚は、加害車を運転して被害車の後方から同一方向に向つて進行中、(1)当時降雨中で道路が湿潤しておりスリップしやすい状況にあつたので、前車がいつ急停止しても追突を避けられる車間距離を保持して進行すべき注意義務があるのに、これを怠り、被害車の後方をわずか一五メートルないし一八メートルの車間距離しか保持せずに時速四〇キロメートルないし五〇キロメートルで追尾進行させたため、一時停止した被害車を約一五メートル前方に発見して制動措置を講じたが間に合わず、本件事故を発生させたものであり、(2)また、被害車は、事故現場付近にさしかかつた際、前方に信号待ちで渋滞している車輛群を発見し、徐行しながらその最後尾について一時停止をしたのであるから、第一審被告戸塚は、前方を注視して、被害車が徐行しはじめたことをいち早く発見し、自車をも徐行させ、あるいは進路を変更するなどして衝突を回避すべき注意義務があつたのに、前方注視を怠り、約一五メートル手前になつてようやく停止中の被害車を発見するに至り、制動措置を講じたが間に合わず、本件事故を発生させたものであつて、民法七〇九条の規定により本件事故によつて第一審原告が受けた損害を賠償する責任がある。

3  損害

(一) 第一審原告は、本件事故により、全身打撲傷、外傷性頭頸部症侯群、体幹の機能障害等の傷害を受け、(1)昭和四四年三月二二日から昭和四六年一二月一五日まで、東病院に入院(ただし、昭和四四年三月二二日から同年一二月三〇日までの間、要付添看護)、(2)昭和四六年一二月一六日から昭和五二年七月四日まで自宅療養、(3)昭和五二年七月五日から昭和五四年一月三〇日まで、板橋中央総合病院に入院、(4)昭和五四年一月三〇日から同年七月三一日まで高橋脳神経外科・外科医院に入院、(5)昭和五四年八月一日から昭和五五年五月一日(症状固定日)まで同医院に通院、(6)昭和五五年五月二日から現在まで同医院に通院して加療し、その間就業することができないのはもちろん、日常生活にも著しい支障をきたしており、その精神的・肉体的苦痛は、筆舌に尽しがたい。

(二) 右受傷に伴う損害額は、次のとおりである。

(1)治療費内金 四二六万四九四七円

(ア) 東病院入院治療費 三三九万一六九九円

(イ) 自宅療養中の同病院治療費 一八万五七四八円

(ウ) 板橋中央総合病院入院治療費 四一万八〇〇〇円

(エ) 高橋脳神経外科・外科医院入院治療費 二六万九五〇〇円

(2) 付添看護費 五六万八〇〇〇円

ただし、要付添看護日数二八三日、一日につき二〇〇〇円の割合による。

(3) 休業損害 一二二一万七二九二円

ただし、賃金センサス産業計、企業規模計、女子年令別平均給与額表による。各年次別の損害額は、次のとおりである。

(ア) 昭和四四年  三五万九〇二五円

(イ) 昭和四五年  五五万七一〇〇円

(ウ) 昭和四六年  六二万九一〇〇円

(エ) 昭和四七年  七二万〇一〇〇円

(オ) 昭和四八年  九二万二二〇〇円

(カ) 昭和四九年 一一三万二八〇〇円

(キ) 昭和五〇年 一三七万四六〇〇円

(ク) 昭和五一年 一二五万三二〇〇円

(ケ) 昭和五二年 一四六万六八〇〇円

(コ) 昭和五三年 一五八万五三〇〇円

(サ) 昭和五四年 一六六万二八〇〇円

(シ) 昭和五五年 五五万四二六七円

(ただし、症状固定日である同年五月一日までとし、基準額は昭和五四年の平均額による。)

(4) 入・通院中慰藉料 五〇〇万円

(5) 後遺障害による逸失利益七一九万八九二六円

(ア) 症状固定日 昭和五五年五月一日

(イ) 後遺障害の内容 頸部痛、両肩疼痛、嘔気、嘔吐感、著明な頸椎変形等

(ウ) 後遺障害等級 三級

(エ) 基準収入額(前記賃金センサス昭和五四年による。) 一六六万二八〇〇円

(オ) ライプニッツ係数(症状固定日当時の第一審原告の年令・六二才)四・三二九四

(カ) 労働能力喪失率 一〇〇パーセント

(6) 後遺症慰藉料 二〇〇万〇〇〇〇円

(三) 損害填補

第一審原告は、本件事故による損害賠償の支払として、自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という。)により合計二八五万円の支払を受けた。

(四) 弁護士費用 二〇〇万円

4  結論

よつて、第一審原告は、第一審被告らに対し、各自、前記3の(二)から(三)を控除しこれに(四)を加えた三〇三九万九一六五用の損害賠償請求権を有するところ、その一部である一〇〇〇万円及びこれに対する不法行為の日の後である昭和四七年八月一日から支払ずみに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  1の(一)ないし(四)は認めるが、(五)は争う。

本件事故は追突事故というべきものではなく、加害車が停車と同時に被害車の後部にかすかに触れたにすぎないものであり、人体に感ずるほどの衝撃はなかつた。

2  2の(一)のうち、第一審被告村田が加害車の所有者であることは認める。同(二)は否認する。

3  3の(一)の事実のうち、第一番原告がその主張するような治療を受けたことは知らない。その余の事実は否認する。第一審原告の主張する傷害は詐病である。仮に詐病でないとしても、本件事故の直前被害車の運転者である第一審原告の夫松崎秀男が急停車の措置をとつたため、第一審原告が頸頭部損傷を被つたものであつて、加害車と接触して受傷したものではない。仮にそうでないとしても、第一審原告は、本件以前にも損害賠償請求の経験があり、過大な愁訴により高額な賠償金を得られることのあることを知つていたことから、初診時に医師に過大な愁訴をしたところ、同医師が初診当日五〇日間の安静加療を要するという診断をし、第一審原告の訴えるまま長期の入院加療を続けさせた結果による医原病というべきものか、あるいは同医師が薬剤の使用を誤つた結果によるもので、本件事故と因果関係はない。

同(二)の(1)ないし(5)は知らない。(6)は争う。

同(三)は認める。同(四)は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一事故の発生

1  請求の原因1の(一)ないし(四)の事実は、当事者間に争いがない。

2  <証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  第一審被告戸塚は、加害車に父である訴外戸塚正一を同乗させ、時速四〇キロメートルないし五〇キロメートルの速度で被害車の一五メートルないし一八メートル後方を追従して進行中、請求原因1の(二)の場所に差しかかつた際、被害車が突然急停止したので、急ブレーキをかけて停止しようとしたが間に合わず、被害車の後部に自車の前部を接触させた。第一審被告戸塚は、右接触により僅かではあるが衝撃を感じたので直ちに下車し、被害車から下車してきた第一審原告、その夫訴外松崎秀男及びその長男訴外松崎満に対し、負傷及び車体の損傷の有無を尋ね、車体を点検したところ目立つた損傷もなくまた第一審原告らから何ら異常がない旨の回答を得た。しかし、念のため医師の診察を受けるよう、また、事故の申告のため警察にも同行してもらいたい旨申し入れたところ、第一審原告らは、帰りを急いでいるからと述べて、第一審被告戸塚の氏名と住所を聞いただけで帰京した。

(二)  事故当時は降雨中で、路面は湿潤していた。

(三)  加害車は、四一年型三菱コルト一〇〇〇セダン型乗用車であり、右接触のため、左前照灯の左側のフロントフェンダーの真中辺りに上下幅三センチメートル、横幅二センチメートルの範囲にわたつて凹損が生じており、右凹損部分の地上からの高さは、乗員二名の場合中心部で59.5センチメートルである。

(四)  被害車は、マツダルーチェセダン型乗用車であり、被害車の後部リヤバンパー(地上からの高さは乗員三名の場合で四九センチメートルから六五センチメートルである。)の右端から五六センチメートルから六五センチメートルまでの部分に横幅九センチメートル、上下幅四センチメートルの範囲にわたる肉眼では識別することができないが手指の感触によつて他の部分との違いを感じることができる程度の異常部分と、リヤバンパーの継目にマッチの軸木を挿入することによつてはじめて確認することができる程度の僅かな歪みがあり、また、リヤバネルとトランクバネルにまたがる部分にも、車体後部右側端より四八センチメートルから五九センチメートルまでの部分に横幅九センチメートル、上下幅九センチメーオルの肉眼で識別することはできないが手指をあてて移動することによつて識別することができる程度の僅かな凹損が認められたけれども、他に右接触によつて生じたと認めることができるような損傷は生じていない。

(五)  加害車が接触した際、被害車の運転者はブレーキを踏んでいなかつたため、被害車は若干前に押し出された。

前掲証拠中右認定に反する部分は措信することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない(なお、両車の損傷部位の地上からの高さは一致していないが、急ブレーキをかけた場合には車体は前部が沈むので、前記両車の損傷は本件事故によつて生じたものと認めて差し支えない。)。

3  右認定の事実によると、本件事故の態様は、請求原因1の(二)の場所で一時停止した被害車に加害車が後部より接触したものであるが、車体の損傷が僅かであることから考えて、その衝撃の程度は軽度であつたと推認されるものの、第一審被告戸塚が、第一審原告らに対し負傷の有無を尋ね、念のためとはいえ医師の診察を受けるように申し入れている点に徴すると、右接触の衝撃は、人体に感じうるものであつたと認めるのが相当である。

二責任原因

1  加害車が第一審被告村田の所有であることは、当事者間に争いがない。右争いのない事実によると、同被告は特段の事情があると認められない本件においては、自賠法第三条の規定により本件事故によつて第一審原告が受けた損害を賠償する責任がある。

2 前記一の2で認定した事実によると、本件事故の発生について、第一審被告戸塚には、加害車を運転し被害車の後方を追従して走行するに際し、自車の速度と降雨中で路面が湿潤しているという道路条件とに即した安全な車間距離をとるべき注意義務があるのにこれを怠つた過失があるものというべきであるから、同被告は、民法七〇九条の規定により本件事故により第一審原告が受けた損害を賠償する義務がある。

三第一審原告の症状

1  <証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

第一審原告は、本件事故発生直後、第一審被告戸塚から医師の診察を受けるよう申し入れを受けたが、異常がない旨告げて出発し、途中頭痛、発熱を訴えながらそのまま帰京し、翌昭和四四年三月二一日は休日であつたこともあつて医師の診察を受けず、翌々日の同月二二日になつて東病院に赴き、追突事故で当初は何の異常もなかつたが、暫くして気分が悪くなり、頭、頸に痛みがあり吐気がする等と訴えて同病院福家理医師の診察を受けたところ、外傷性頭頸部症侯群であり約五〇日の加療及び安静を要するとの診断で入院を勧められたので、即日同病院に入院し、安静、牽引、消炎剤・止血剤の投与等の治療を受け、次いで同年五月二九日ごろから軽いマッサージを受けるようになつた。しかし、同年八月ころからは、頑固な頭痛、頸部強直、流涙等の症状が続くようになり、昭和四五年ころには頸部強直、左半身のしびれ、頭痛、嘔気(げつぷ)、流涙等の症状が固定し、用便等のほかはほとんど離床することもなく昭和四六年一二月ころまで二年八か月余り同病院に入院を続けて、注射、湿布及び赤外線・超短波・マッサージ等の物理療法による治療を受け、退院後も時々福家医師の往診を受け自宅療養を続け、昭和四九年一〇月当時においてもなお頭痛、頸部痛、肩部痛、左上下肢がきかない、左上下肢のしびれ感、左足背部感覚障害、吐き気、左耳鳴、腰痛、体重減少の症状がある旨訴え、食事は自分で箸を持つてしていたが、外出時には頸部をコルセットで固定していた。その後、昭和五二年七月五日板橋中央総合病院において頭部外傷後遺症、頸部変形症の診断を受け、同日から昭和五四年一月三〇日まで同病院に入院し、頭痛、頭重感、めまい、肩部痛、背部痛、嘔気、手足のしびれ感等の症状がある旨訴え、点滴静脈注射、マッサージ等の理学的療法等による治療を受け、更に、同年一月三〇日高橋脳神経外科・外科医院に転院し、同病院の高橋俊平医師から頸椎症侯群、大後頭神経痛の診断を受け、同日から同年七月三一日まで同病院に入院し、頭痛、項部痛、両肩疼痛、眠気、嘔吐、嘔気、両手のしびれ感等の症状がある旨訴え、点滴静脈注射、鎮痛剤投与、マッサージ等の理学的療法等による治療を受け、同年八月一日からは同病院に通院して治療を受けている。最近においては、寝ていることは少なくなり、頭痛、項部痛の頻度が減少し、嘔吐、嘔気は消失し、日常生活は徐々に活発化してきている。

(2)(一) <証拠>及び鑑定嘱託の結果によると、東病院において当初福家医師の行つた安静加療五〇日を要する旨の診断は、客観的な検査結果及びその後の所見から判断して、医師の常識をこえた診断であり、安静加療二週間ないし三週間と診断するのが相当であつたと考えられるが、福家医師が右のような診断を下すに至つた原因として、前掲甲第二〇号証の二〇によると、第一審原告の誇張した愁訴があつたことがうかがわれる。

(二) <証拠>並びに鑑定嘱託の結果によれば、次のとおり認められる。

東病院で初診時に撮影したレントゲン写真によると、第一審原告の第四・第五頸椎間に軽度の角状形成と第四頸椎の約二ミリメートルの前方へのすべり及び第五頸椎体前上縁の幼若な骨棘形成像が認められるが、これは老人性変性現象によるものと考えられ(この点に関する前掲甲第二〇号証の二の記載は、前掲甲第二〇号証の二二に照らし、措信することができない。)、右のほかに骨折、脱臼、椎間板損傷、脊椎靱体断裂等を疑われる所見はなく、同病院入院中にも、脳、脳神経、脊髄、末梢神経の麻痺その他の障害を疑わせるような他覚的な所見・検査結果は認められておらず、他覚的な所見として明らかなものは、頸椎運動の制限(これについても、後記のとおり第一審原告の意思が介在した結果である疑いが濃厚である。)のみであり、同病院入院中の第一審原告の症状には心因的な要因が多分に影響していること、同病院の治療も第一審原告の愁訴を鵜のみにしてこれを行つていたこと及び第一審原告には回復への自発的意欲を欠いていたことがうかがわれる。

(三) 鑑定嘱託の結果によると、次のとおり認められる。

昭和四九年一〇月五日慈恵医大附属病院で実施された第一審原告に対する諸検査の結果によると、第一審原告は、頸部が全く硬直して動かず、他動的に動かそうとすると強く抵抗を示すが、このことは、レントゲン写真上頸部の前屈位、中間位、後屈位が明瞭に撮影されていて頸部が全く硬直して動かないことはありえないということと矛盾し、したがつて、それには第一審原告の意思が介在しているか、少くとも第一審原告の自発性の欠如が原因と考えられる。また、両上肢についても左上肢は前方約三〇度より挙上不能、右上肢は九〇度より挙上不能で、他動的に挙上させようとすると頸部同様強い抵抗を示し、握力は左右とも零であるという検査結果が認められるが、日常の食事は自分で箸をもつてしているということに照らし極めて疑問の残る所見でありまた、左下肢の麻痺をも訴えているが、下肢の肢位は麻痺性肢位を示さず、その上、上下肢とも腱反射は正常で病的反射もなく筋萎縮もみられないという結果からみても、第一審原告の訴える左上下肢の運動麻痺は根拠がなく疑問である。また、左顔面、左胸部、左下肢の知覚抵下を訴えているが、これはしびれ感を知覚抵下と述べているものと考えられる。その他、レントゲン検査上は頭蓋骨は正常であり、頸椎は後屈時に軽度前方凸の傾向と第五椎体に骨棘形成が認められるが、右変化は老化現象によるものと考えられ、外傷によると考えられるような所見はなく、脳波検査結果においても、右前頭部、側頭部に棘波様所見があるが、外傷に関係する変化とは認められず、筋電図検査結果も検査に協力した筋については正常所見である。また、第一審原告の性格は、自己暗示にかかりやすく、自己中心的な考え方が強く、神経症的傾向が極めて強いことが認められる。

(四) 前掲甲第九号証によると、昭和五五年五月一二日当時の高橋脳神経外科・外科医院高橋俊平医師の検査結果では、頸椎の変形著明で骨粗しよう症を呈していると認められるが、これは長期にわたる頸部のコルセットによる固定の後遺症と認められる。なお、前掲乙第一〇号証の一、二によると、第一審原告は高橋脳神経外科・外科医院入院中にも自己の症状を誇張して訴えていたことがうかがわれる(この認定に反する当審証人高橋俊平の証言は、自己の患者に対する配慮に出たものと考えられるので、採用することができない。)。

(五) なお、<証拠>によると、第一審原告は、昭和四三年三月二三日、日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)総武線小岩駅において電車に乗る際乗客に押されて左肋骨亀裂骨折の傷害を受け、同年四月五日から同年六月四日まで東京都江戸川区内の栗原医院に入院し、退院後も本件事故直前の昭和四四年三月一五日まで週一、二回同医院治療を受けており、また、同年二月一一日にも駅の階段から転落して左胸部及び左下腿打撲症を負つていることが認められるが、<証拠>によると、本件事故当時、右各負傷は、一応治癒していたものと認められる。

3  <証拠>並びに鑑定嘱託の結果によると、外傷性頭頸部症侯群とは、追突等によるむち打ち機転によつて頭頸部に損傷を受けた患者が示す症状の総称であり、この損傷が発生するためには頸部の過伸展又は過屈曲があつたことが必要であり、損傷の程度は加えられた衝撃にある程度まで比例するが、追突時の姿勢等にも関係し、同じ衝突の場合は車内で正面を向いている場合よりも横に向いている場合の方が損傷の程度が軽いのが一般である。そして、軽度の衝撃によつて損傷を起す例もないではない。右損傷によつて発生する症状は多種多様で極めて複雑であるが、一般に、外傷直後より数時間後又は翌日になつて現われることが多く、大部分は頸部軟部組織の損傷による軽微なものであり、骨、軟骨、背髄、脳の損傷によるものは極めて稀れである。その症状は、身体的原因によつて起こるばかりでなく、外傷を受けたという体験によりさまざまな精神症状を示し、患者の性格、家庭的、社会的、経済的条件、医師の言動等によつても影響を受け、ことに交通事故や労働災害事故等の責任が他人にあり損害賠償の請求をする権利がある場合には、加害者に対する不満等が心因となつて症状をますます複雑にし、治癒を遷延させる例も多い。しかし、衝撃の程度が軽度で損傷が頸部軟部組織(筋肉、靱帯、自律神経など)にとどまつている場合には、入院安静を要するとしても長期間にわたる必要はなく(数日以内長くとも一〇日位)、以後は多少の自覚症状があつても日常生活に復帰させたうえ適切な治療を施せばほとんど一か月以内、長くとも二、三か月以内に通常の生活に戻れるのが一般である。

四因果関係及び賠償額の限度

1 前記一及び三認定の事実に<証拠>及び鑑定嘱託の結果を併せると、第一審原告は、本件事故により頭頸部軟部組織に損傷を生じ外傷性頭頸部症侯群の症状を発するに至つたものと認めるのが相当である(なお、第一審原告は、本件事故発生時には何の異常も訴えていなかつたことが認められるが、外傷性頭頸部症侯群の症状の発生経過として、当初は何の異常もなく暫くして吐き気、頭部異常感を訴えることはしばしばみられるところであり、また本件事故の際の追突の衝撃の程度は前記認定のとおり軽度であつたと推認され、しかも、<証拠>によれば、追突の際の第一審原告の姿勢は車内の方向を向いて横向きに座つていたことが認められるが、軽度の衝撃及び右のような姿勢でも損傷を起こす例がないわけでないことに照らし、右のような事実があることをもつて、前記認定を妨げるものではない。また、本件事故直前被害車は急停止をしており、理論上停止によつても頸部の過伸展又は過屈曲が生ずる可能性は否定することができないが(なお、第一審原告は原審における本人尋問において追突の際車の前方にとばされた旨供述し、また第一審原告本人が提出した昭和五五年九月二日付準備書面には追突の際衝撃で後部座席に寝ていた次男が下に転落した旨の記載があるが、これらの事実は、追突によるよりもむしろ急停止の際に起こりやすいことであり、急停止の際の経験事実を追突の際の事実として述べているのではないかとの疑いもあり、そうであるとすれば、急停止の際の衝撃のほうがはるかに強かつた可能性もないわけではない。)、当審証人高橋俊平の証言によると、実際に急停止によつて頭頸部症侯群を起こす例はほとんどなく、同証人もそのような症例を経験したことがないことに照らすと、右理論上の可能性のあることから直ちに本件事故による第一審原告の受傷を否定することはできないものというべきである。

2  しかしながら、追突時における衝撃の程度及びその際の第一審原告の姿勢からみて、本件事故による第一審原告の前記受傷の程度は、軽度のものであつて、第一審原告が当初医師に対し症状を正確に告げ、これに対する正確な診断及び適切な治療が施され、心因性の要因に影響されることがなく、本人の回復への意欲があれば、一か月以内に治癒する程度のものであつたと認めるのが相当であり、器質的な障害は右期間内に治癒したものと考えられる。

3  その後の症状については、(一)前記認定のとおり、第一審原告の性格は、自己暗示にかかりやすく、自己中心的な考え方が強く、また、神経症的な傾向が極めて強いこと、(二)また、前記認定のとおり、第一審原告を最初に診察した福家医師は第一審原告の誇張した愁訴に惑わされたにせよ安静加療五〇日という医師の常識をこえた重症の診断を下したこと、(三)前記認定の事実及び<証拠>によると、第一審原告は、前記本件事故前の総武線小岩駅での事故について国鉄を相手方として損害賠償請求の訴を提起しその後和解により賠償金を受領したことが認められること(なお、<証拠>によると、第一審原告の夫である松崎秀男も、昭和四三年四月一二日普通自動車を運転中大型貨物自動車に追突され外傷性頭頸部症侯群の症状を発して入院治療を受け、また右事故に関し損害賠償請求を提起し和解により賠償金を取得する等の事故被害歴及び訴訟経験がある。)、(四)<証拠>によると、第一審被告戸塚は、事故後車体を点検したが目立つた損傷もなく、また念のため医師の診断を受けるよう申し入れたにもかかわらず第一審原告から何の異常もない旨の回答を得ていたので、第一審原告の受傷について疑惑を持ち、また本件事故一か月後になつて一〇〇万円の損害賠償を要求してきた第一審原告らの態度に不信感を持つたため、事故後第一審原告を見舞うこともなく、また、後記自賠責保険による弁済のほか治療費の支払いもしていないこと(なお、<証拠>によると、第一審原告及びその夫である松崎秀男は、本件訴訟に先立つて、本件事故に関し昭和四五年初めころ第一審被告らに対し損害賠償請求訴訟を提起したが、同年九月、訴訟外で、第一審被告戸塚と松崎秀男の代理人榎本武光との間で同被告が一一四万六〇五円を松崎秀男に支払う旨の示談契約を締結し、訴えを取下げている事実が認められ、本訴は第一審原告により再度提起されたものである。)に<証拠>及び鑑定嘱託の結果を併せ考えると、前記1の受傷を契機にして、第一審原告の特異な性格、初診医師の安静加療五〇日という常識はずれの診断に対する過剰な反応、本件事故前の受傷及び損害賠償請求の経験、加害者の態度に対する不満等の心因的な要因によつて引き起こされた外傷神経症に基づくもので、更に長期の療養生活によりその症状が固定化したものと認めるのが相当である(なお、当審証人高橋俊平の証言及び鑑定嘱託の結果によれば、第一審原告が長期の入院治療に耐えている点から考えて、第一審原告の症状をすべて詐病であるということはできない。)。

4 以上の第一審原告の症状のうち、頭頸部軟部組織の受傷が本件事故と因果関係があることは当然であるが、その後の神経症に基づく症状についても、右受傷を契機として発現したものであり、頭頸部損傷の結果神経症となる事例は必ずしも稀ではないことは当裁判所に顕著な事実であるから、心因的な要因による神経症に基づく症状であるからといつて直ちに本件事故との因果関係を否定することは相当でないというべきである。しかしながら、前記認定のとおり、原告の訴えている症状のうちには同人が意識的に虚偽あるいは誇張してこれを訴えているとみられるものもあるばかりでなく、その症状の発現は第一審原告の特異な性格に基因するところが多く、その他その発現に影響があつたとみられる初診医の診断、加害者の態度等の事情についても第一審原告の言動に触発された一面のあることも否定することのできないところであつて、更に、第一審原告の回復への自発的意欲の欠如と誇大な愁訴により適切を欠く治療を継続された結果、症状の悪化とその固定化を招いたと考えられることに照らすと、本件事故による受傷及びそれを契機として第一審原告に生じた損害を全部第一審被告らに負担させることは公平の理念に照らし相当ではなく、過失相殺の規定の類推により事故後三年間である昭和四七年三月二〇日までに発生した損害のうちその四割の限度に減額し第一審被告らに賠償責任を負担させるのが相当である。

四損害

1  治療費

<証拠>によると、昭和四七年三月二〇日までの第一審原告の治療費としては、三四〇万〇八八一円(<証拠>によつて認められる入院分の合計三三九万一六九九円及び<証拠>によつて認められる昭和四七年一月ないし三月分の治療費九一八二円の合計)を要したものと認められる。

2  付添看護費

前記認定の事実に照らすと、第一審原告の入院中の症状についての訴えは誇張に過ぎる点があり、ほとんど離床しなかつたのも自発性の欠如に基づくものと考えられるので、入院中付添の必要があつたものとは認め難いから、仮に第一審原告主張のような付添費の支出があつたとしても、本件事故と相当因果関係にある損害であるということはできない。

3  休業損害

<証拠>によると、第一審原告は、大正五年六月一八日生れで本件事故当時五二才の主婦であり、家事をとる傍ら神田明神の結婚式場に式場係として不定期的に勤務していたところ、本件事故のため事故の翌日である昭和四四年三月二一日から三年以上右勤務を休業し、その間家事をとることもできなかつたものと認められるから、昭和四四年三月二一日から昭和四七年三月二〇日までの間、同年令の女子平均賃金相当の休業損害を被つたものと認められる。ところで労働省発表の昭和四四年度から昭和四七年度までの各賃金構造基本統計調査報告書によると、パートタイムを含む全産業・企業規模・学歴計の五〇才から五九才までの女子労働者の平均賃金は昭和四四年度が四五万六六〇〇円、昭和四五年度が五四万三三〇〇円、昭和四六年度が六一万四九〇〇円、昭和四七年度が七〇万四八〇〇円であるから、右平均賃金を基礎に第一審原告の休業損害の額を計算すると一六六万八七七七円となる(計算式については、原判決別紙計算書の記載を引用する。)。

4  慰藉料

前記認定の第一審原告の受傷内容、症状及び治療経過その他諸般の事情(右症状に第一審原告の性格等第一審原告側の事情が寄与した点を除く。)を考慮すると、本件事故により第一審原告が昭和四七年三月二〇日までに受けた精神的苦痛に対する慰藉料としては、二〇〇万円をもつて相当と認める。

5  後遺障害による逸失利益及び慰藉料

第一審原告は前記の損害のほか後遺障害による逸失利益及び後遺症慰藉料を請求しているが、いずれも、昭和四七年三月二一日以降に生じた損害と認められるから、理由がない。

6 以上のとおり、第一審原告が昭和四七年三月二〇日までに受けた全損害は、1の治療費三四〇万〇八八一円、3の休業損害一六六万八七七七円、4の慰藉料二〇〇万円の合計七〇六万九六五八円となるところ、前記三説示のとおり第一番被告らは右のうち四割の限度で賠償責任を負うものと解すべきであるから、その額は二八二万七八六三円(円未満切捨)となる。

五損害の填補

第一審原告が自賠責保険から損害賠償額の支払として二八五万円を受領していることは当事者くに争いがない。そうすると、第一審被告らが第一審原告に対し賠償すべき右四認定の損害はすべて填補されているものというべきである。

六弁護士費用

前記のとおり、本来第一審被告らが第一審原告に対し賠償すべき四認定の損害はすべて填補されており、第一審原告は本訴においてこれを請求することは許されないのであるから、本訴追行のための弁護士費用は本件事故と相当因果関係のある損害と認めることはできない。

七結論

以上によれば、第一審原告の本訴請求は理由がなくこれを棄却すべきものであり、これと一部趣旨を異にする原判決はその限度で失当である。よつて、第一審原告の控訴及び当審で拡張した請求を棄却し、第一審被告の控訴に基づき第一審被告敗訴部分を取消して右部分に関する請求を棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九六条、第八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(香川保一 越山安久 吉崎直彌)

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